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Channel: KGセミナー塾長の日記
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焼鳥屋での「打撃理論」

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 教え子のやっている、焼鳥屋の桜の都に、高校野球の先輩と行ってきました。このお店のマスターは、桐蔭OB。高校時代は、あの上原投手からホームランを打っています。同じカウンターには、高野山高校のOBがいました。私とバッテリーを組んでいたキャプテンのいとこです。奥のテーブルには、貴志川高校のコーチが飲んでいます。後になって、和歌山高校の部長さんもやってきました。いい気分で飲んでいると、桐蔭OBの教え子が挨拶に来てくれました。今は、外資系の会社で、最年少部長になっているそうです。えらい頑張りやな。このお店、本当に高校野球の関係の人がやってくるお店です。

 

 一緒に飲んだ先輩は、私の3歳年上。先輩の最後の夏から、金属バットの使用が解禁されました。しかし、その当時は、夏の大会では、ほとんどの選手が、木のバットで打席に立ったようです。先輩は、代打で出た最後の打席で、あの鎌田投手から木のバットで、目の覚めるようなサードライナーを放ったそうです。

「その当時の金属バットは、今と違って、ひどかったんや。イーストンのバットなんかは、全く飛ばなかった。」

 

 と先輩が語ります。「イーストン!」なつかしいなあ。僕が入部した時に、イーストンありました。誰も使っていなかったような気がします。

 

 高校野球の話。昔のパリーグの話。いろんな話をしました。

 

 「東尾は、1年目、11勝18敗だったんや。」と先輩が。その数字、僕の心にも、ちゃんと刻み込まれていました。いわゆる黒い霧事件で、大揺れに揺れた西鉄ライオンズ。エースの池永投手は、先輩をかばいながら、一言も釈明することなく、球界を追放されました。

 

 その後、バッティングの話になりました。僕が、「高校時代は、バットのヘッドを早く出せ!」それしか言われなかったというと、先輩もそうだったと言います。ところが今は、できるだけバットのヘッドを後で出す打ち方に変わってきています。全く打撃が変わってしまったような気がします。昔は、反対方向に打つのを、「流し打ち」と言いました。今では、その言葉自体に違和感を感じてしまいます。反対側方向にも強い打球が飛ぶようになりました。

 

 プロ野球では、落合選手が出てきたから、変わったような気がします。昔は、インコースに来たボールに対して、足を開くと、いい当たりを打っても、ファールにしかならないと言われました。原辰徳がよく打っていたような打球です。それを落合は、足を開いて、ライトに軽々とホームランを打ちだしました。昔は、引っ張った強い打球を打つことがすべての時代でした。あんな打球は、おかしいと思ったものでした。落合選手は、高校は、ラグビーの名門秋田工業。兄が通っていた学校です。練習はほとんど行かずにさぼっていました。しかし、試合前に来て鋭い打球を打つので、試合に出してもらっていたのです。大学は、東洋大学。これもいわゆる野球部の体質が合わずにすぐに辞めています。打撃に対する先入観というか、こうなんだと教え込まれたものがなかったから、独自で考えていったんだと思います。プロに入った最初は、首脳陣は、全くあの打撃を信じていなかったそうです。

 

 やはり、高校野球では、木のバットでは、詰まったらもう終わり。バットが折れてしまうので、とにかくバットのヘッドを出すことが要求されていたのだと思います。ところが、金属は、折れることがありません。詰まってもヒットにできればいいのですから、やはり、「打撃」の基本から変わっていくのです。ちょうど我々は、その過渡期にいたのですね。木のバットの打ち方で、ひたすら金属バットを打っていたのです。

 

 非常に楽しい夜でした。蔭で朝までぐっすり眠れました。先輩、また行きましょう。


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