昨日の朝日新聞の夕刊に、関西大学の天六校舎が、解体されて、住宅地になるという記事が載っていました。かつては、大学に夜間学部が存在していました。それを2部と呼んでいました。同志社、立命、関大、近大・・・いろんな大学に2部が存在していたのです。
それが、バブルを迎えた頃、「勤労学生」が時代の流れに合わなくなってきて、閉鎖されてきました。現在では、関西では、大阪経済大学と大阪教育大学に2部があるだけです。
昔、予備校部の生徒で、8月になって、受験をやめると言ってきた生徒がいます。父親のやっていた仕事がうまくいかず、今まで住んでいた家を出て、家族で小さなアパートに、家族全員で引っ越したそうでした。そんな彼を、何とか説得して、関西大学の法学部2部に進学させたことがあります。入学式に着るスーツを、予備校の下にある紳士服チェーン店でそろえてあげました。その時の嬉しそうな顔は、今もはっきりと覚えています。
そんな彼が、大学を卒業する前に塾に立ち寄ってくれました。
「先生、関大の2部に行って本当によかったと思います。2部には、いろんな人がいます。仕事帰りのサラリーマン。昔大学に行けなかったので、仕事を定年退職してから、やっと来れるようになった、年配の人。新地のお姉さんは、お店でお客さんの話についていけるようにと通っている人もいます。みんなの授業に対する真剣なまなざしが、教授にも通じるのだと思います。ある教授は、2部で教えるのが本当に楽しい。1部は、雑談をする生徒がいたり、眠っている生徒がいたり・・・。授業をしていても全然張りがないけれど、2部の授業で、みんなの真剣な目で見つめられると、気合が入ると言ってました。2部を進めてくれてありがとうございます。」
と語ってくれたことがありました。バブルの華やかな頃、時代に合わないと閉鎖した2部。今こそ2部が必要な時代になってきたのではないかと私は思います。施設や設備は、いつも時代の後からついていきます。今、受験生が減少している中、各大学は、社会人を取り込もうと躍起になっています。各大学は、梅田にサテライトキャンパスを設けて、サラリーマンを取り込もうとしています。もう一度、2部を検討してもらえたらなと思うのです。