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Channel: KGセミナー塾長の日記
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終戦記念日

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 昨日は、終戦記念日。本当は、「敗戦記念日」と呼んでいいのだが、どういうわけか、終戦記念日という言葉を使うことで、「やっと戦争が終わった。我々日本人は、平和を待ち望んでいたんだ。」という気持ちを表したいという誰かの意図が隠されているのか。それとも直接的な表現を嫌う日本人独特の心が作った言葉なのか。対華21カ条の要求を受け入れた中国は、その日を、「国恥記念日」と呼んだのとは、大きく違っている。

 

 我々の世代は、「広島、長崎に原爆が投下され・・・」という書き方で、誰が投下したのかをあいまいにするような教科書で育ってきた世代だ。中には、「落としたのはソ連!」という生徒も出てくる。教科書の思惑通りの結果となる。京都や奈良には、文化財が数多くあるから、アメリカは、空襲を行わなかったという話を、学校の授業で聞いて、それを本当に信じていた時代に生きてきた。事実、法隆寺を始め、日本の6か所に、その意見をアメリカ政府に進言したという学者に対する「感謝塔」が今も残っている。その学者自身が、「一度もそんなことを政府に対して言ったことはない。」と否定すればするほど、それを謙遜と日本人は受け取ったようだ。

 

 京都は、小倉、横浜と並んで、原爆を落とす都市の候補に挙がっていたから、その威力を詳細に調べるために、空襲を行わなかったにすぎない。奈良は、軍需関連の施設が少なかったために、優先順位が低かっただけだ。

 

 戦争を体験した人が、だんだんと数少なくなっていく。我々の世代は、戦争を直接体験した祖父母から話を聞くこともあった。また、両親は、幼少期を戦時体制の中で過ごしてきた世代だ。身近な人から直接体験の話を聞くのは、心に加わる力が違う。

 

 8月13日、NHKで、「狂気の戦場 ペリリュー」というドキュメンタリー番組を見た。日本は、それまでは、潔く自決をすべしという作戦から、「徹底抗戦」に変化した最初の作戦だった。「3日で戦いを終わらせる」とやってきたアメリカは、それを終わらせるのに、甚大な損失を被り、1700人を超える死者、負傷者も多数、その中には、精神に異常をきたした者が数多くいたらしい。テレビでは、その姿が映し出されていた。この戦いが、次の硫黄島の戦いに続いていくことになる。

 

 テレビのニュースで、8月14日に空襲を受けた秋田の町が取り上げられていた。その時16歳だった少女は、自分の家の前を、焼け出された人が、何人も通って行くのを見たという。その人たちに、お水をあげていた。その中に、赤ちゃんを背負った若いお母さんが、歩いてきた。背中におぶっている赤ちゃんを見ると、首から上がなかった。その姿を見たくなかったから、そのお母さんに、「あっちの林の所に行って、赤ちゃんにお乳を飲ませてあげたら。」と言った。その言葉を言った自分を、責めながら、責めながら、ここまで生きてきたという。

 

 12時なると、甲子園球場では、サイレンが響く。平和なこの時代。自分の意見を誰に憚ることなく発言でき、自分の夢を追い求めることが、若者にとっての一番大切なことであるこの時代に生きるものとして、「戦争」というものを、今一度考えてみなければならない。


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