Quantcast
Viewing all articles
Browse latest Browse all 498

春を迎える前に

 

今年の受験生たちのすべての結果が出た今、どうしても書いておきたいことがある。現役生の話だ。彼は、久しぶりに、馴染みのラーメン屋に立ち寄った。顔見知りになったおばちゃんに、4月から大学生になることを報告した。「そうか、おめでとう。お金は、今日は要らないよ。」と言ってくれたという話を、彼の母から聞いた。練習の帰りに、仲間たちと、また1人で何度も何度も通ったのだろう。辛い練習を乗り越えて、このラーメン屋に立ち寄ることが、ホッとするひと時だったのかもしれない。仲間にも言えない、ましてや親にも言えない思いを、ラーメンと一緒にすすりながら、胸の中に押し込める、そんな日もあったことだろう。彼の人柄が、おばちゃんの心に触れたのかもしれない。

 

 

 

 ちょうど3年前に、彼は、塾に入るためにやって来た。クラブは何をやっていたのかと聞くと、「テニスです。」と答える。「そうか。併設の高校に入って、野球はやる気はないか?」と聞くと、「小学校の時に野球をやっていました。」と返ってきた。その言葉に、嬉しくなってしまった私は、3年間、野球をやり通すことができれば、きっと普通の高校生活では味わえないことを手に入れることができると信じて、野球部への入部を勧めた。

 

 

 

 考えてみれば、自分たちの頃も、中学で野球をやっていなかった選手の苦労は並大抵ではなかったような気がする。大半の選手は、身体を壊してしまったり、勉強を理由に辞めていった。野球をやっていた者にとっては、当たり前のことでも、最初は、全くついていけない。体力が全く違うのだ。最初の1年間は、本当につらかったと思う。しかし、一番苦しい1年の夏を越え、ひと冬を越えて、後輩たちが入ってきたころには、少し体ができてきた。試合にも出させてもらえるようになった。2年生の夏には、念願の背番号をもらってベンチ入り。

 

 

 

 秋になって、自分たちのチームになって、初めて1ケタの背番号をもらった時の嬉しそうな顔。公式戦の向陽戦での活躍も、たまたま上富田の球場に足を運んでいたので、私も見ることができた。生き生きと飛び跳ねているような気がした。このまま順調にと思っていたが、3年の春から次第に、試合に使ってもらえなくなった。辛かっただろう。どこがいけないのだろうかと模索の日々が続く。2桁の背番号をつけた最後の夏。ちょうどそのころ、朝、予備校生と一緒に、日前宮にお参りに行っていた僕は、受験生全員の合格と、ひそかに夏の大会で彼の努力が実ることを祈っていた。具体的には、右中間を破るライナーを打つこと。それを毎日毎日祈っていた。南部龍神との初戦。好投手に苦しんだ桐蔭は、わずか1安打に抑え込まれる。終盤、代打が告げられて、やっと打席に立てた。この1打席のために頑張ってきた日々。初球をたたいたライナーは、日前宮でお祈りしていた、まさにその場所に飛んで行ったが、外野手のグラブの中に。あっけなく終わってしまった野球だったが、その1球に彼の高校野球のすべてが詰まっていた。

 

 

 

 野球が終わって、勉強への切り替え。とにかく集中して、なおかつ、少しでも長い時間を勉強すること。それしかない。7月後半から8月、9月と心と時間のすべてを勉強に打ち込んできた。ところが、模試には、努力の跡が出てこない。野球が終わってから受けた2度の模試は、全く結果が伴わなかった。落ち込んでいる暇はない。やるしかない。少しずつ努力が結果になって見え始めてきた。担任の先生も、彼の実力を認めてくれるようになった。行ける。当初目標にしていた大学も、手に届きそうになってきた。4年前に、「奇跡」を起こした野球部OBと姿がだぶってくる。やっぱり努力は裏切らない。できる限りのことをして臨んだセンター試験。

 

 

 

 まさかの敗北。受験は結果がすべて。「~だったならば・・・」は、存在しない。しかしまだ終わったわけではない。辛く苦しいのを乗り越えることの大切さ、そのことを、野球を通じて学んできたはずだ。センター終了後の、崩れてしまった気持ちをもう一度立て直して受験。とにかく与えられた状況の中で頑張るしかないことを学んできたはずだ。最後まで、力の限りを尽くすこと。それしかない。もう一度、気持ちを奮い立たせての受験。今すべてが終わって、春から三日月が校章の大学に進む。いつか満月になれるように。

 

 

 

 あの時に、野球に誘ってしまったことが、彼にとってよかったのだろうか。それは今の段階では、まだ分からないかもしれない。ただ、受験の一番苦しい時に、早く合格をして、グラウンドに行って後輩たちのために、審判をしたいと言っていた、その言葉がとにかくうれしかった。実際に、試験が終わってから、グラウンドを何度も訪れている。野球をやってよかったという気持ちが、少しでもあるからではないだろうか。野球も、勉強も、本当に、辛く苦しいことばかり経験してきた気がする。しかし、あの高校時代があるからこそ、今の自分があると言えるような人生をこれから歩んでいくこと。それを切に願う。

 

 

 

 

 

 

 


Viewing all articles
Browse latest Browse all 498

Trending Articles