昨日は、高校3年生と、背番号のことについて書きました。今日は、最後の夏に背番号をもらえなかった人の話を書きます。
向陽で、投手として頑張っていたT君は、最後の夏、背番号に手が届きませんでした。それでも、打撃投手として、試合の前日まで、ベンチに入る同僚や、試合に出る後輩のために、一生懸命に、黙々と投げ込みました。ただ、相手にいい打球を打たせるためだけに、投げ込むのです。野球が終わって、受験。関西の難関私立大学を受験しましたが、2月の試験では、すべて失敗。3月の後期入試では、ワンランク落とした大学を受けてはどうだと勧めてみました。その場では、「はい。」と言うのですが、やっぱり受験せずに、難関大学の後期試験を受験しました。そして最後の最後に、合格したんです。模試の判定は、ずっとE判定でした。ただ、最後に大切なのは、どうしても合格したいと言う気持ちなんだと、私も再確認させられました。京都で大学生活を送りました。彼の粘りは、立派でした。本当は、気分がなえてしまって、目標を下げたりするものですが、頑として受け付けずに、初心を貫きました。この春から、大阪の企業に就職。朝5時半に起きて通っているそうです。背番号をもらえず、だれにも認めてもらわれずに、それでも黙々と投げ続けた18歳の夏のことを思えば、何でもできますね。
桐蔭の野球部で背番号をもらえなかったN君。今までは、3年生でベンチから外れるということは、桐蔭野球部ではなかったんですが、近年、少し部員が増えたこともあって、3年生が外れてしまうことも出てきました。ベンチに入れず、勉強でも、現役で合格できす、辛かったと思います。そんなとき、自営業のお父さんの仕事を手伝うことにしました。毎日朝早くから、いろんな現場に出ていって、夜遅くまで一生懸命に働く。父の仕事は、普段の生活では、子供は、触れることがありません。家に戻ってきて、ビールを飲んでいる父しか知らない子供ばかりです。しかし、一生懸命に働いたものだけが味わえる、仕事の後のビール。それが彼にも少し、分かったのかましれません。仕事が一段落ついてから、ずいぶん遅くなってからの、浪人生活の始まりでした。しかし、本人がやる気になったとき、そこがスタートなのです。少し時間がかかってしまいましたが、この春、国立大学から合格通知が届きました。
いろんな辛い思いもあります。嫌なこともあります。ただ大切なのは、負け犬になってしまわないこと。その経験を次に生かして、あの辛い思いがあったから今の自分があるんだと思えるような生き方をすること。背番号は、18歳の若者に取っては、何より重いことかもしれません。ただ、それによって自分がどれだけ成長できるか。神様から与えられた挑戦状かもしれません。がんばる。最後まで手を抜かずに頑張る。そうすれば、きっといいことが待っている。そう信じることが、まず大切なのです。