岐阜県の高校で起こった事件。遠足を予定していた高校に、自殺を予告した手紙を届けたのは、自らがバスの手配を忘れていたのを隠すための旅行会社社員の犯行でした。その社員の年齢が、30歳。その年齢だと、大学を出て入社して、経験を積んで、中堅の社員として中心となって働いている年齢です。その社員が、あまりにも短絡的な犯行を犯してしまう。その企業が受ける社会からのダメージは、計り知れないことだと思います。
高校1年の冬。野球部の練習で使うストップウォッチを紛失してしまう事件が起こりました。我々1年生は、顔色が真っ青になってしまって、悩んで、悩んだ結果、お金を出し合って新しいのを買って、まっさらなストップウォッチに傷をつけて、古く見えるようにしたのです。2,3日はだませましたが、やがて発覚してしまいます。
「こういうことをして、いいと思っているのか!」監督の声。そこから、野球部生活で、一番厳しかったしごきが始まりました。桐蔭高校には、スタンドがあります。今のスタンドは新しくなりましたが、僕たちのころは、レンガでできた古いスタンドでした。昭和天皇が、皇太子のころに、甲子園で連覇を果たした和歌山中学の野球を見に来られたのを記念して作られたものです。当時のスタンドには、ちゃんと、「ロイヤルボックス」もありました。そのスタンドは、かなりの段差があります。
「全員、手をつなげ。手は放すな。スタンド100本。」 自分ひとりで走っても、10本も駆け上がって、降りてくるのは大変です。それを100本。気が遠くなりました。下では、監督が竹刀を持って待ちかまえています。私の隣の同級生のKです。「K!ちゃんと下まで降りろ!なめているのか!」そういいながら、彼のお尻をめがけて振り下ろされた竹刀は、手をつないでいた、僕の右手にあたりました。痛かった。でもそんなことは言ってられません。血を流しながら、走り終えました。
やっと終わった。と思うと、次は、うさぎ跳びです。また全員手をつないで、1塁側のベンチの所から、レフトの後ろにある、サッカーゴールまで、5往復。身体が動かなくなった者を引きずりながら飛びました。この日が終わるんだろうか。そう思った一日でした。やっと終わった後は、全員、足ががくがくしています。最後は、「馬跳び」でグラウンドを10周。もう、飛ぶ力も残っていません。背中に手をついて、飛ぼうとするのですが、そのまま馬と一緒に倒れてしまいます。
10周、終えると、正座をして、「説教」が始まります。内容は、どこかに行ってしまって覚えていません。ただ、「あんのことをやったら、えらい目に遭う。」そう心に刻み込みました。今でも、右手の親指の付け根にある傷を見ると、あの日のことを思い出します。
大なり小なり、こういう経験をすると、その後の社会に出た時に、少しは役に立つのかなと思います。昔話をしてしまいました。