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Channel: KGセミナー塾長の日記
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中間テストを終えて

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 昨日から、新しく予備校が1人加わりました。大学に進学していたのですが、どうしてももう一度挑戦してみたいという気持ちを抑えきれなくなったようです。5月27日。まだ間に合います。今までの悶々としていた気持ちを、勉強にぶつけてください。最初の1か月は、なかなか大変ですが、きっといいことがあります。それを信じて、自分を信じて、最後まで頑張り抜きましょう。

 

 中間テストが終わりました。クラブ活動をやっている生徒たちは、インターハイ予選が始まります。3年生は最後の大会となります。去年、陸上競技で、上位の成績を収め、近畿大会、国体と出場して、広島大学に現役合格した星林生もいました。クラブをやりながらでも、できます。勉強する時に集中してやれば、何とかなります。意識を変えていくことから始めないといけません。

 

 高校になれば、同じレベルの生徒たちが集まってきますから、少し油断すれば、成績が下がってしまいます。そこが中学と大きく違うところですね。日頃の勉強を大切にしていかなければなりません。昨日は、受動態を勉強しました。明日復習テストをしますから、ちゃんと覚えてきましょう。それが大学受験につながるのです。

 


予備校部 準動詞

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 浪人生と準動詞をやっています。不定詞・動名詞・分詞などを総称して動名詞といいます。これがなかなかややこしいのです。文法の問題の中でも、ここが一番の山ですね。質問も昨日は一番多かったです。

 たとえば、

  Someone left the window closed.

 

  これは、窓は、閉められるのですから、受身の形になって、closed となります。ところが、

 

 Someone left the window open.

 

  この場合は、opened にならなくて、open  です。このopenは、形容詞になります。形容詞がある場合は、それをそのまま優先させるのですね。しかしどう考えても、なかなか納得しづらいですよね。

 

 予備校生の中に、お父さんがカナダ人で、大学で英語を教えている人がいます。父にこの問題を説明してくれと頼んだそうです。

  「わからん。考えたこともない。こういうから、こうなんよ。」

 そうです。普段、言葉を話す時に、文法などは全くこれっぽちも考えませんよね。それが母国語なんです。ところが文法を考えてみると、普段何も考えたことがないものほど難しくなります。準動詞を乗り切れば、大きなヤマは越えられます。あと少し頑張りましょう。

「貴族」になるための教育

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 20年ほど前だろうか。ちょうど五月の末の、今頃だったと思う。日本青年会議所の教育部会に所属していて、イギリスミッションに参加したことがある。先輩と二人で、懸命になって旅行のプランを立てたのを覚えている。教育関係の仕事にしているメンバー15人ほどで、イギリスを回った。

 

 幼稚園から、ケンブリッジ大学まで、いろんな教育機関を回ってきた。その中で一番印象に残っているのが、ハーロー校というパブリックスクールだ。”パブリックスクール”という名前だが、実は、全寮制の私立男子校。その費用からも、とても普通の家庭では通えない学校だ。僕たちが行った時の、親子3人が見学に来ていた。アフリカにある、ある国の王子だそうだ。

 

 ヨーロッパには、貴族が存在する。身分の差も、日本よりはっきりとしている。いかにもお金持ちのボンボンが集まった学校だろうなとたかをくくっていた。ところがこの学校、なかなかすごかった。「貴族」には、徹底的に貴族になる教育を施している。

 「勇気」のある成年男子を徹底的に育て上げるのだ。この勇気とは、国のために率先して行動を起こせる人間らしい。事実、第一次、第二次の両大戦において、貴族の戦死者の割合が圧倒的に一般の人より高かったというデータが残っている。

 

 タイタニック号が沈む時、アメリカの作った映画では、我先に逃げる男性も描かれてはいるが、実際は、あの船に乗っていた大半のお金持ちたちは、女、子供を先に助けてやって、自らは一番最後まで残っていた人が圧倒的に多かった。身分の差がはっきりする社会はどうだろうかと思っていたが、貴族が残っている社会だからこそ、徹底的に貴族になるための教育が施されている。日本の教育では、まだまだ到底追いつかないなと思った。

 

 ハーロー校の見学会の橋渡しをしてくれたのが、教育部会の先輩で、現文部科学大臣の下村さんだ。彼が就任してから、今まで以上に教育改革が進んだ気もする。

暑い日は・・・

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 だんだんと暑くなってきました。車に乗っていると、日差しは、真夏と変わらないほどです。予備校部の教室も、少し空気がこもってしまいます。そろそろエアコンを使わないといけませんね。

 

 こんな暑い日は、授業が終了すると、ビールを飲みたい時もありますが、昨日は、アイスにしました。値段の高いプレミアムなアイスではなくて、「ガリガリ君」。これがまたおいしいんです。昨日は、キウイ味。さっぱりとしていました。

 

 一生懸命に働いた後は、たった60円で、幸せを感じられます。このアイス、1981年に売りだされた時は、50円。10年後に60円になって、その後値段は据え置きです。赤城山のように、裾野を広げて、大衆の中に浸透したいと願ってつけた会社。その気持ちは、十分に伝わってきます。

 

 アメリカの投資会社が、「ベビースターラーメン」で有名な、三重県にあるおやつカンパニーの買収に取り掛かりました。世界中で広がっている日本食ブーム。次に狙いをつけたのが、「おやつ」の会社です。ここまで目をつけるかという感じですね。企業を買収して、さらに発展させて、その後売却して利益を得る。しかし、ベビースターラーメンは、いつまでも残ってもらいたいなあ。僅かなお金を握りしめて、小さい子供の時に買った記憶は、大人になっても忘れることはありません。そういう記憶に支えられて会社は大きくなっていきます。是非頑張ってもらいたいです。

予備校部実力テスト

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 昨日の最後は、高校3年生のセンター英語の授業でした。向陽野球部は、次の日、遠征で朝早い集合なのでお休みでした。そんな中、一人だけ野球部員が来ていました。有田から通っている生徒です。彼は投手。ただ、肩を故障していて、今はボールが投げられません。そんな彼の、勉強に対する思いが、昨日の授業に出させたのでしょう。最後まで、野球も勉強も頑張ろう。

 

 予備校生は、2週間に一度の実力テスト。朝から緊張している人もいます。昨日は55分間。語法の問題がなかなか難しかったです。長文は2問。遺伝子についての問題と、言語学の入門について。それほど難しい単語もなく読みやすかったと思います。

 

 後は、ペース配分。時間内で、最高の得点を取らねばなりません。いつも時間内にできないK君。昨日は、前回よりかなり順位が上がりました。控え目ですが、嬉しそうな顔がよかったです。悔し涙を流す生徒もいます。本当に、情けなくて、涙が出てしまうのです。それは、一生懸命にやっているからこその涙です。この得点と悔しさをしっかりと受け入れて、2週間後の自分の姿を思い描きながら、頑張ってください。真面目に頑張る。それしかありません。最後まで自分を信じて、自分はできるんだと信じて、頑張りましょう。

野球

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 高校野球の練習試合を見に行きます。そこには必ず、高野連から審判の方が来てくれて、主審をしてくれます。暑い中、本当にご苦労様です。高校野球を支えてくれる審判。かつては皆、球児でした。仕事を持って、それでも野球に対する思いを持ち続ける。なかなか大変なことです。一時期、審判になる人が減ってしまって、危機的な状況もありましたが、最近は、若いメンバーも和歌山では、そろってきたようです。そんなことを考えれば、やはり高校野球では、審判の判定にクレームをつけるのは間違っています。

 

 ジャイアンツの原監督のお父さんがなくなりました。福岡県立三池工業、東海大相模で、ともに夏の甲子園で優勝。都道府県の違う2チームを頂点に導いた唯一の監督です。東海大相模が優勝した時の主力メンバーは、和歌山の河西中学のメンバーでした。その時以来、東海大相模には、和歌山から何人も選手が進んでいます。私と同じ学年も西和中学からK君が、進学しました。原・津末が1学年上。一番東海大相模が輝いていた時代です。夏の県予選、ベンチに投手として入って投げていました。大学で野球をするなら、東京6大学。そういった時代を崩したのが、東海大学です。

 

 東京大学野球部。連敗を続けています。京都大学野球部が頑張っているだけに余計に、クローズアップされてしまいます。監督さんは、土佐高校出身の方で、私と同じ仕事をしています。ジャイアンツの桑田さんも投手コーチとして指導しています。それでも勝てません。かつては、立教大学が、野球推薦枠がない時代が長く続きました。東大は、立教大学からは勝利を収めていたのです。しかし、立教大学も、野球強豪校からの選手を優先的に採るようになりました。早稲田、慶應、法政、明治に加えて、立教も戦力が整ってきたので、益々東大との実力の差があく一方です。何とか、まずは1勝。

 

 高校野球は、夏の大会まで、1ヶ月半になりました。ここからが、一番伸びる時期だと言われます。春の成績は当てにはなりません。暑い中、しっかりと練習を積んで下さい。今は、栄養指導を導入している学校もあるようです。しっかり食べて、筋力をつける。それも練習の一環です。特に3年生。最後の夏に向けて、自分がチームのために何ができるのかを考えて、練習に励んで下さい。大阪の学校は、予選は、ブラスバンドの応援は禁止です。控えの部員たちが、応援団となって、大きな声で心を一つにして、歌を歌います。3年生のベンチに入れなかった選手が、団長となって、応援団を形成します。夏前の選手が練習している時に、一生懸命になって、歌を歌ったり、振付をしたりするそうです。それも高校野球。社会に出てから必ず生きてきます。

ルーズベルトゲーム

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  日曜日の夜は、「ルーズベルト ゲーム」を楽しみにしています。業績悪化のために、廃部の危機にある社会人野球の話で、野球の話が、リアルな形で出てきます。スポンサーは、東芝と日本生命。東西の社会人野球の名門チームがしっかり番組を支えています。古田、野茂、小笠原など社会人野球からプロ野球には行った選手の名前が、頻繁に出てきます。

 

 悪い奴がはっきりしているのが、また安心して見ていられるんですね。悪い奴は、ちゃんと悪い奴の顔をしています。水戸黄門のパターンと同じです。思わず、青島製作所、頑張れと声を出してしまいそうになります。

 

 都市対抗野球の予選が始まりました。塾のOBで、桐蔭から筑波大学に進み、今年から大阪ガスで、社会人野球を続ける金附選手。昨日は、1塁手として日本新薬都の試合に出場。2安打を放ったと読者からコメントを頂きました。頑張っているな。彼の先輩の桐蔭から筑波に進んだY君は、今年から新翔高校の部長として高校野球に携わります。土曜日は桐蔭に来て練習試合をしていました。

 

 いつまでも野球に携わっていける。すごいことだと思います。都市対抗出場を目指して、頑張ってください。

文武両道クラス

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  昨日は向陽の野球部の1年生が1人、仲間と一緒に初めて来てくれました。向陽中学出身の生徒です。向陽中学は、中学野球の中でもかなりの実力のある方だと聞いています。併設中学に野球部があるといいですね。そのまま上の高校に行って、野球をすることができます。桐蔭は、グラウンドがないので、中学には野球部がありません。グラウンドを何とか近くに確保するとかできないものかとグラウンドに行くたびに思います。

 

 昨日の文武両道クラスは、ちょうど新しい項目を勉強するところでした。昨日は練習が遅くまで会って少し合流するのが遅かったですが、みんな集中して頑張っていました。ユニフォームを脱いだら、その学校の生徒として一生懸命に勉強を頑張る。ユニフォームに着替えたら、野球に集中する。いつも監督さんが部員たちに話していることです。

 

 野球をやりながら、現役で国公立大学へ進学する。大きな目標を掲げて頑張っていきましょう。


予備校生へ

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 関係詞。今予備校部でやっている項目です。中学の3年生の受験の間際に習うことになっている関係代名詞。受験が迫ったあわただしい中での学習で、もうひとつちゃんとわからないまま高校生活に入ってしまった人も多いようです。

 

 関係代名詞、関係副詞、関係形容詞などなかなか厄介です。準動詞とはまた違った難しさがありますね。苦しみながらしっかりと自分なりに、「わかった!」という境地に達して下さい。関係詞がわかると、英文解釈も少しできるようになります。ここを乗り越えましょう。

 

 休まずに、遅刻をせずにちゃんと出てくる。立派なことです。そうやってコツコツと頑張っていく。それが何よりあなたにとって大切なことになります。休まない、遅刻をしない。そういう人は、まず他人から信頼されるようになります。社会に出て一番大切なのは、信頼される人間であることだと思います。信頼されれば、それに応えたいという責任感も出てきます。すぐにあきらめないこと。ちょっとのことで休まないこと。やせ我慢でもいいですから、踏みとどまる力。それを養ってもらいたいですね。浪人生活を通じて。

 

 勉強ができるできないの差は、確かに存在します。それは今までの勉強量が出てきているのですから、仕方がない部分もあります。しかし勉強に対して取り組む姿勢。これはみんな同じところからスタートできます。そして自分なりに、次に、もう一つ上の段階にとアップさせていくのです。勉強に対する姿勢が、君たちの人生に対する姿勢なのです。勉強もできないようでは、働くこともできません。君たちが努力している姿は、ちゃんと見ています。それが実を結ぶまで。頑張れ予備校生。

机の上をきれいにして帰る

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 おはようございます。KGでは、予備校生は、2週間、座席を固定しています。それで、その机の中に、参考書や問題集を置いて帰ることを許可しています。それともう一つ、帰るときは、机の上を何もないようにきれいにして帰ることを徹底させています。

 

 生徒にやらせるだけではなくて、私も机の上にないもない状態にして、片づけてから帰るようにしています。そうすると次の日にやってきたとき、「よし、頑張るぞ!」という気持ちになるのです。

 

 サラリーマン時代に、山善城北営業所の石本所長に徹底的に鍛えられました。石本さんは、「どてらいやつ」のモデルの、山本社長( テレビでは、山下猛三 )に、直接、徹底的に鍛え上げられて、たたき上げで所長にまで上り詰めた人でした。理不尽だなあと思ったこともありましたが、自らの経験をもとにした指導は、今も生きています。

 

 たまに、ノートや、ファイルを出しっぱなしにして帰ってしまう人もいます。たかが1回。と思うかもしれませんが、それが、心の緩みにつながってしまうのです。みんなが守っていることをちゃんとする。当たり前のことをちゃんとする。それが、テストの時に、みんなが取れる問題を確実に得点できることに通じてくるのです。勉強ができるようになる。入試で合格できるようになる。そのためには、日頃からどう生きていくかが大切です。頑張れ、予備校生。机の上をきれいにして、まっさらな気持ちで次の日に取り組めるようにしましょう。

文武両道クラス

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 昨日の最後の授業は、文武両道の1年生中心のクラスです。向陽の野球部の1年生が5名、星林のバレーボール部の女子が1名。それと大体大浪商の3年生の野球部員が1名。浪商の生徒は、兄も同じ学校で、KGで浪人をしました。今、近畿大学の2年生です。

 

 3年生のⅠ君は、昨日が塾デビューの日でした。ひとつ前の高3の授業は、全くわからなかったと思います。高1の授業は、説明を聞けば何とかついてこれたそうです。後輩の中に入って頑張るというその気持ちがいいですね。向陽の1年生たちにも紹介しました。ちゃんと先輩として挨拶をしている姿を見ると、ほほえましく思います。一生懸命にがんがるⅠ君の姿もよかったです。さすがにスポーツマン。その真剣な目がいいです。きっとできるようになります。

 

 練習を終えてから、パンと飲み物を買ってすぐに塾へ。それを食べながら一生懸命に授業を聞いて、問題を解いています。その姿勢がいいのです。ユニフォームを着ている時は、野球のことだけを考えて打ち込む。制服を着ている時は、勉強のことだけを考える。その集中力が、野球にも生きてくると思います。昨日勉強した項目は、少し難しかったですね。中学の勉強とは、少し違います。しっかりと復習をしなければ、せっかく塾にやってきたのが、無になってしまいます。頑張れ。この毎日の頑張りが、文武両道への道です。

藤原あらし MVP獲得

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藤原あらし選手が、ゴング格闘技やFight&Lifeの両格闘技雑誌の編集長と格闘情報サイトeファーストが選ぶ、5月のMVPに選ばれました。その理由は、

 ① ルンピニースタジアムの現役のランカーで、しかも20歳という伸び盛りのタイ人選手に勝利を収めたこと。

 ② 35歳という、格闘家にとっては、非常に厳しい年齢で、夢を実現したこと。

 ③ 「神の階級」といわれる、圧倒的にタイ人が強さを誇っている、ムエタイの軽量級での勝利であること

だそうです。

 

 ヤフーには、彼の試合後の話が掲載されていました。言葉を拾ってみると

 

 「年齢のことは考えていません。絶対あきらめない。その心が大切です。」

 「僕は上しか見ていません。年齢を重ねて、さらに成長を続けています。」

 「最初の子供が生まれた時に、闘争心は、なくなりました。ただ、子供や家族のために、絶対に負けられないという気持ちが、より強くなりました。」

 「年齢や、生活を理由にしてやめたくはないです。いくつになっても、好きな道に挑戦できる。こんな有難いことはありません。」

 

 予備校生にも、聞かせてやりたいような言葉が、並んでいました。「生活」そうです。格闘家では飯は食っていけません。結婚し、子供ができれば、働かなければなりません。働いて、お金を稼いで、僅かに残った時間の中で、練習をして、もがき苦しむ。

 

 一緒に、試合前日の計量行ったことがあります。一番の年長者である、藤原君が、優しく若い選手に声をかけてやっています。若い人たちも、本当に礼儀正しかったです。そのことを彼に話すと、

 「真剣に格闘に打ち込んでいる選手は、真面目な子ばかりです。真面目でないと、仕事をしながら、格闘なんてできません。チャラチャラしている奴は、すぐに負けてしまいます。」

 と語っていました。その通りですね。試合前は意気込んでいますが、試合で実力の差を見せつけられた選手は、必ず相手に頭を下げて、相手に敬意を表して、自らの敗北を認めます。真剣に打ち込んできたからこそ、敗北を認めるのは辛い。しかしその現実を受け止めることで、選手は人間としても成長していくのです。

 

 今、多くの大学で、将棋や、囲碁を授業に取り入れています。頭を使う。それもありますが、一番の効果は、「敗北」を認めることです。今の若者は、異性の相手に、告白をして、×をくらってしまうことを極度に避けようとします。×を言い渡されるなら、今の友達同士にままでいいと考える若者も多いのです。なかなか、青春時代に敗北を認める機会が少なくなったような気がします。敗北を認める。認めて、自己嫌悪に陥る。その繰り返しが、青春時代には不可欠な要素なのです。これは人間にとって、大切な経験です。

 

 「負けても、くよくよ考えないんです。反省はします。しかし、負けを引きずっている時間はありません。タイ人以外、誰も巻いたことがない、ルンピニースタジアムの軽量級のチャンピオンベルト。それを手に入れるためには、くよくよしていられないんです。」と語っていました。

 

 日本人が誰もできなかったことに挑戦している35歳。海南の中学から、開智高校に進んでサッカーをやり、格闘技の経験はありません。大学入試では挫折も味わい、浪人生活を経験して、やっとつかんだ明治大学の合格通知。決して、スポーツ推薦などで進学せずに、一生懸命に勉強して大学合格したのも、彼には大きな支えとなっているはずです。浪人生活が、支えとなっているからこそ、「年齢なんて関係ない!」と言い切れるのかもしれません。

 

 7月に次の試合があり、秋には、ルンピニースタジアムの選手との試合も予定されています。その試合は、大きな試合となるかもしれません。頑張れ、藤原あらし。妻と2人の子供と一緒に、夢を実現させて下さい。応援しています。

 関関同立+近大

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 大正14年秋、東大、早稲田、慶応、明治、立教、法政の6つの大学が、野球のリーグ戦を始めました。東京6大学の始まりです。関西では、昭和6年、秋から関西6大学野球が始まりました。京大、神戸大、関大、関学、同志社、立命の6大学です。昭和36年秋まで、この加盟大学でリーグ戦が行われました。昭和14年秋には、京都大学が優勝しています。私立の「関関同立」がひとくくりにされた始まりではないかと思います。

 

 その後、入れ替え戦が行われます。まず、京大と神戸大が2部に落ちて、近大、大阪商大が1部に昇格します。その後、龍谷大、大阪学院大、京都産業大、神戸学院大、大阪経済大が、関西6大学野球1部リーグに昇格します。昭和56年春、関学が久しぶりに昇格して、関関同立と近大、大阪商大の6大学で秋のリーグ戦を行い、立命館が最下位となり、京都産業大学との入れ替え戦に臨むことになります。

 

 ところがここで、「関西学生野球連盟」を発足させたのです。旧関6から、神戸大学と近畿大学を入れ替えて、関関同立近それと京都大学で、新しいリーグ戦を始めました。圧倒的な実力を誇っていた近畿大学の力を無視することはできません。関関同立の中に、近畿大学が入った初めての対外的に認識されたパターンだと思います。そして、近大を除いたその他の昇格した大学が、関西6大学野球を継続する形になりました。

 

 大学入試の観点から、かつて、「京産は、立命を越えたんではないか!」 「就職を考えると、甲南は、関大、立命よりいいぞ!」と言われたこともあります。ただもちろんのことながら、京産、甲南の学校側から何ら発言したわけではありません。あくまでも巷の噂です。

 

 今年の春、近畿大学の入学式を取り扱った新聞記事、テレビの番組が数多くありました。近畿大学付属高校から近大に進んだ、歌手のつんく♂さんがプロデュースしたものです。その番組の中で、「関関同立という大きな壁が存在しているが、それを打ち破るのは、近大。あと10年すれば、関関同立という言葉を過去のものにします。」と学校関係者が力強く語っていました。安倍政権で、内閣官房副長官として、マルチメディア戦略を担当している世耕さんが、理事長に就任しています。最近、近畿大学のマスコミに対する露出度も際立ってきました。

 

 6月になって、毎日新聞社から、「高校の実力」という大学入試に関するデータブックが発売されました。10年間に難関大学( 旧帝大プラス一橋、東工大 )への進学数が伸びた学校の中に、和歌山の桐蔭が入っていました。2003年度入試から学区制を撤廃したのが桐蔭の進学状況に影響を及ぼしています。難関私立大学は、関東地区の高校には、早慶上智プラスMARCHと東京理大。MARCHは、明治、青山、立教、中央、法政です。関西の場合は、早慶、東京理大、関関同立に最後に近畿大学が加わっています。大学入試の難易度の面において、初めて近畿大学が、関関同立と肩を並べました。マルチメディアの戦略が、ここでも効いているのでしょうか。この雑誌の掲載されるということは、「難関大学」としてのお墨付きを得たと言ってもいいかもしれません。ただ、あの入学式、確かにすごいのですが・・・という感じがしないわけでもありませんでした。

休日

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 ここ数日、夜中に何度も目が覚めてしまいます。昔は、ベッドに入ったと思ったら、もう目覚まし時計が鳴っていたという感じだったんですが。不安なことは何もないのに。仕事の量が足りないのかな。ただ、肩が凝ってパンパンなんですが。

 

 昨日は、家の植え込みを刈り込みました。少し刈り込むとすっきりします。それから、ツバメの巣を取り除きました。赤ちゃんツバメが巣立った後なので、チャンスでした。毎年毎年、同じ時期に、同じところに巣を作りに来ます。まるで、申し送り事項に加えられているかのようですね。梅雨の合間のいいお天気でした。

 

 何の予定もなく、家でゴロゴロとすごす日曜日。それもたまにはいいものですね。テレビを見ながらうとうととする。たまらなくいい休日です。あとは、今晩ぐっすり眠れること。そのために、今日は、一生懸命に仕事をしないといけません。頑張ります。

苦しい時には

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 1年生、準動詞になかなか苦しんでいます。無理もありません。学校ではまだ習っていない範囲だと思います。ここは大切なところなので、ゆっくりと丁寧に繰り返しやって行きます。まずは、復習をきちんとやっていきましょう。高校と中学の違いは、中学の場合は、そんなに勉強をしなくてもある程度、ついていけます。それが義務教育なのです。ところが高校になれば、少し頑張って努力をしないと、こぼれてしまいます。何とか努力を続けられるようにしないといけません。できる人が偉いのではなくて、できるように努力を重ね続けられる人が偉いのです。頑張ってください。

 

 いい時があれば、悪い時もあります。ずっと好調を維持できるものではありません。心も同じです。左に揺れ、右に傾き、後ろのことを悔みながら、前のことに心配し、今を生きているのです。そんな時、自分の心の中で、「これを信じて生きていこう」というものを見つけること。それが人生なのかもしれませんね。今おかれている状況を受け入れて、その中で、もがき苦しみながら、小さなことに心の平安を見いだせるようになりたいです。


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 塾で仕事をしていると、と言っても大きな塾ではなくて、私のような個人塾の場合、なかなか辛いことがあります。それは、仕事の事を本音で語ったりする相手が、なかなかいないということです。サラリーマンの時代は、同期や、先輩、後輩たちと話をしたり、飲みに行ったりできます。ところが今は、そんな相手は、なかなかいません。雇っている社員、アルバイトには、どこまでも、経営者の立場を崩すことはできません。同業の他人とは、どこまで本音で語っていいのか、その線引きが、難しくなってしまいます。

 

 そんな中、昨日は、この業界で長く仕事をしている、後輩と会って、話をしました。僕たちがこの仕事に足を踏み入れた頃は、はっきり言って、大卒の新卒の男子がやる仕事ではなかったのです。仕事を辞めてきた人、資格試験の勉強をしている人そういった人はたくさんいるのですが、なかなか、新人の社員が入ってこない時代でした。そんな中、彼がこの業界の中にはいってきてくれたのが、すごく嬉しかったのです。

 

 いろんな話をしました。最近特に思うのは、昔と時代が変わったなということです。手応えがなくなったと言ってもいいでしょう。なかなか難しい時代になってきました。おそらく、この業界でやってきた人は、そういう感じを持っているのではないでしょうか。

 

 ただ、目の前の仕事をこなすだけではなくて、心をこめて、この生徒のためにと思って、できることはすべてやってやりたい。そういう気持ちで仕事をしてきたし、これから先もやっていくのです。

 

 あっという間の3時間でした。31年前にこの仕事をやり始めてからのことが、いっぱい頭に浮かんできました。いいですね。本音で語れるというのは。今日も頑張ります。

魚の煮つけ

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 先日、夕食のおかずに、魚の煮つけが出てきました。加太の街で育った僕にとっては、小さい頃は、魚が中心の生活でした。その当時は、別に何も思わなかったのですが、就職して、東京に行ったとき、先輩が、ちょっといいお店に連れて行ってくれた時に、魚の煮つけが出てきたのです。高級そうなお店だったので、どんな味がするのかなと思って楽しみに食べてみると、小さい頃いつも食べていたお魚の方が、遥かにおいしかったんです。そりゃあそうですよね、近所の漁師さんがつってきたのを、すぐにそのまま食べたりしていたのですから、鮮度が違います。そうです。ある人が行ってました。「明石の鯛」って有名ですが、あの鯛は、紀淡海峡を通って行ったのが明石の鯛で、加太の鯛が、一番うまいんだと。

 

 当たり前のことは、その状態にいると何も思いません。当たり前だから、当たり前。でもその状態でなくなった時に、その尊さというか、良さに気がつくようになっているのですね。人間は、どんな状態にでも、すぐに慣れてしまう動物です。だから、たまには、視点を変えたり、行動のパターンを変えたりしないと淀んでしまいます。

 

 夕食の煮つけの魚は、カワハギでした。地元では、「はげ」といいます。「はげ」には、丸はげと、長はげ ( うまずらはげ ) があって、小さいまるはげの方が、味がいいとされています。ただ、僕は夕食に出た、長はげが好きです。少しあっさりしていますが、身が取りやすくて、きれいに食べられます。昼間の外食とかであまり食べられないものが、週末の夕食に出てくるといいですね。ごちそうさまでした。

人気がなかったころのパリーグ

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 この前朝日新聞のスポーツ欄に、作家で、元近鉄百貨店社員で、近鉄バッファローズ応援団長の佐野正幸さんの話が出ていました。最近のパリーグの盛り上がりは、近鉄の消滅があったからだと語っています。その話を聞いて、かつてのほとんどマスコミに登場することのなかったパリーグのことを思い出しました。

 

 先日、高校野球の先輩と話をしていた時に、全盛時代を過ぎて、弱かった時代の西鉄ライオンズの話になりました。ちょうど東尾投手が活躍するころです。その頃に、負けても負けてもずっと投げ続ける投手がいたということで、話が盛り上がりました。「河原投手!」という話で盛り上がりました。その名前は、この45年間、僕の記憶の底に眠っていたのですが、急に蘇ったのです。

 

 入団して、2年目から、12勝13敗、13勝19敗、4勝16敗、5勝12敗。この時の負け数が、僕の記憶に残っていたんですね。今は、ネットですぐに検索できます。河原投手。1967年に市和商が夏の甲子園に出場して、準々決勝で、大分商業に19対5で大勝した試合があります。その時の大分商業のエースが、河原投手だと知りました。負けても、負けてもひたすら投げ続ける。そのことに感動したのです。入団2年目から12勝を挙げると言うのは、並みの素質ではありません。今だったら立派なエースです。西鉄がもっといい時代だったらと思ってしまいます。

 

 大分県で、肉料理のお店を経営されているようです。この話をした先輩と、温泉にでもつかって、河原さんのお店でご飯を食べる。ささやかな夢ですね。

プロ野球16球団構想

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 昨日、大阪ガス野球部の金附君が、バウムクーヘンをいっぱい持って、塾に来てくれました。都市対抗野球に出場が決まったそうです。社会人になって、打撃が好調で、試合にも出場させてもらっているとのことです。練習が、かなりきついそうです。精悍な感じがしました。とにかく、後2年で結果を出したいと語っていました。都市対抗野球、楽しみです。

 

 自民党から、プロ野球16球団の構想が打ち出されました。新潟、静岡、松山、沖縄に新球団を設立するという考えです。政府自民党が、なぜ野球のことまで?人気取りの政策かとも思わないでもありませんが、とにかく、そういうところから話が出るということは、実現の可能性ありということです。

 

なんだか夢が広がりますね。プロ野球選手を目指している若者にとって大きなチャンスがくるかもしれません。Jリーグのように、また、後楽園球場を、ジャイアンツのいない間に使わせてもらっていた、日本ハムが、札幌に行って大きな支持を得たようになれば、こんな嬉しいことはありません。巨人にへばりついていくだけのプロ野球から脱却しつつある今こそ、正にチャンスだと思います。

 

 選手の確保とかが大変になりますが、今のプロ野球選手の年棒が、高騰しすぎているのです。もちろん1流選手はそれに見合うだけの報酬を手にするのはわかりますが、試合にたまにしかでなかったり、2軍でくすぶっている選手の中にも、びっくりするぐらいの年棒の選手がいます。それよりも、プロ野球選手としての生命が終わった後の人生の指針をちゃんとつけてあげられるような、フォロー体制を作っていくことが急務だと思います。地域に密着したプロ野球。いいですね。

昔の車のCMを見て

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 おはようございます。今日は、コートジボワール戦が10時から始まります。いい時間帯でイイですね。楽しみです。日頃サッカーには、あまり興味はありませんが、日本代表の試合、とりわけワールドカップは別です。しっかりと応援したいと思っています。

 

 昨日ネットで、昔の日本車のコマーシャルを見ました。「ケンとメリーのスカイライン」のコマーシャルは、今見てもすごくかっこいいです。その一つ前の「愛のスカイライン」とは全くスタイルが変わりました。あのロングノーズのケンメリのスカイライン。あの青い色。いつかは絶対にスカイラインに乗りたいなあと思ったのを覚えています。CMで流れているあの曲のレコードも買いました。

 

 「1986年の車のCM」と言うのがありました。1986年。昭和61年。日本がバブルの絶頂期を迎えていたころでした。僕は27歳。その年の3月に結婚しています。とにかく仕事が忙しくて、大変だった頃です。車は、おんぼろのスターレットに乗っていました。その頃のCMを見てみると、今と違って、「イメージCM」がはるかに多いですね。「グレード」、「豊かさ」そういった言葉が飛び交っています。お金をかけたコマーシャルが多いのがよくわかります。外国で撮影したCMも多く、外国人有名タレントを使ったものも多いです。ホンダのインテグラのCMは、山下達郎の曲を使っていて、センスがあるなあという感じがします。スバルの「アルシオーネ」、今見てもかっこいい、贅を尽くした車だと思います。

 

 その時代というものが、CMの中には一番よく表れてきます。ああ言った時代があったんだなあと改めて思います。その当時、日産には、ローレルとローレルスピリット、スカイラインとラングレーのように、同じ車の小さなバージョンを販売したりしていました。「いつかはクラウン」という言葉ももう存在していました。アップグレードを日本全体が目指していた時代だったのです。日本全体が、「いつかはクラウン」を目指していたのかもしれません。

 

 それが、今のように、軽自動車しか売れないような時代が来るなんて、予測もつかなかったことでしょうね。「新型のセリカに乗っていると、みんなが振り返って、口元が、「セリカだ!」と言っているのがわかった。少し恥ずかしかったけれど、誇らしくもあった。」とモータージャーナリストの人も語っていました。今は、車は、若者の心をひきつけるものではなくて、本当に生活の足になってしまったような気がします。ですから、維持費が安い、燃費もいい、下取りの値段も高い軽自動車で、何の不自由もないのです。

 

 昨日は、久しぶりにガソリンスタンドで、汚れていた車を、手洗い洗車してもらいました。ホイールの黒ずみは、なかなか自分ではきちんと取れないので、たまに、洗車してもらいます。ちょうど4年目。走行距離は5万キロ。走りもいいし、何よりスタイルが気に入っています。今まで買った車の中で、一番のお気に入りです。できるだけ長く乗りたいと思っています。

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