予備校部から大阪市大に2人が受験しました。ともに経済学部です。2人とも野球部出身です。
1人は、桐蔭高校のキャプテン。英語が苦手でした。現役時代は、最後まで英語で苦しんでいたそうです。実際に教えてみると、覚える努力をしていないのがよくわかります。どうしても時間をかけて暗記するのが苦手なようでした。ですから社会もダメで、秋の初めに受けた模試ではいい結果は出ませんでした。しかし、そこから巻き返していきました。その粘りは、立派なものでした。
速達で合格通知が届くのを知らなかった彼は、部活から帰った妹に郵便物が届いていると教えてもらったそうです。合格していました。すごく、穏やかな性格で、後輩からも慕われていました。同じ桐蔭野球部が、もう一人浪人生活を送っていたのですが、「キャプテンのTが本当に、チームをいい雰囲気に導いてくれました。僕たちのチームは、個々の力は弱かったかも知れませんが、チームワークで、ベスト4にまで残れたのだと思います。Tがキャプテンでよかったです。」と語っていたことがあります。本当にその通りだなあと思いました。おめでとう。
もう一人は、那賀高校の野球部員です。那賀高校が決勝戦まで勝ち進んだ時の、主力選手でした。2年の秋は、和歌山大会優勝。甲子園に手が届くところにまできました。夏の大会。苦しみながら、勝ち進んでいきます。すべての試合を先発9人だけで戦っていく那賀高校。決勝に駒を進めました。相手は、智辯和歌山。決勝戦での強さは群を抜いていて、負けなし。いつも序盤に大量リードして、試合を決めてしまいます。ところが、那賀高校がよく粘って、延長戦へ。何度も勝機はありましたが、あと1本が出ずに、敗れました。その時の、最後の打者が、K君です。1塁へ頭からスライディング。ゲームセットのサイレン。あと一歩、届かなかった甲子園。
野球が終わってから、塾に来てくれました。現役では、関西大学、甲南大学、近畿大学を受験しましたが不合格。浪人生活が始まります。国公立を目指して、3年前に、大阪市大に進んだN先輩のようになりたいと決意をしたのです。「すき家」でアルバイトをしながらの浪人生活です。林先生に、数学を鍛えてもらいました。もともと好きだった数学が、得意科目になりました。生き生きと、浪人生活を送っているようでした。バイトの辛さは、全く見せません。当たり前のように働いて、そして勉強をする。
センター試験。本人は、思ったようには得点が取れなかったようです。しかし、大阪市大に出願。そこから、さらに頑張りが加速したようでした。英作文を何度も何度も書いて、持ってきてくれました。なかなかうまい英作文を書きます。市大にでる、長文の選択問題も、いくつもやりました。傾向のよく似た現代文の問題も何枚もこなしました。できる限りのことはすべてやって臨んだ2次試験でした。
合格発表の日は、そわそわして、郵便屋さんが来るのを窓から見ていたようです。大阪市大からの大きな封筒が届きました。すぐに塾にやってきてくれました。合格です。握手をしました。最後の打席の悔しさを、忘れることなく、最後まで、根を詰めて努力をした成果です。3年前に、やればできるということを後輩に教えてくれたN君。その頑張りが、伝統となってちゃんと引き継がれています。2人とも、現役の時は、国公立を目指していないところから、しかもアルバイトをしながらの合格。やれば本当にできます。浪人生活は、できるできないの問題ではなくて、やるか、やらないかそれがすべてのような気がします。K君は、野球部に入ります。今度は野球で最後の打席の借りを返さなければなりません。頑張れ!