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Channel: KGセミナー塾長の日記
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怪童 尾崎投手

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  元東映フライヤーズの剛腕投手、尾崎行雄さんが亡くなりました。68歳でした。その剛速球から、「怪童」と呼ばれた人でした。浪商高校の1年生からエース。その当時の浪商で、1年から試合に出れること自体、大変なことだったそうです。元智辯学園、初代監督で浪商高校OBの山本集さんから直接聞いたことがあります。

 

 甲子園に3期連続出場。法政二高の柴田投手との3度の対決は、語り草になっています。3度目に、準決勝で法政二高を下して、決勝で対戦したのが、桐蔭でした。桐蔭森川、浪商尾崎の息の詰まるような投手戦。その当時の新聞には、観客が6万5千人と書かれているものもあります。1対0で浪商が優勝しましたが、地方の県立の進学校でも、十分に戦えるということ、そしてかつての名門和歌山中学がよみがえったことを知らしめた一戦でもありました。

 

 

 高校を2年で中退してプロに入って、いきなり20勝。浪商の1年先輩だった住友平が、明治大学を卒業してプロに入ったとき、対戦した尾崎の球を見て、高校時代の方が全然速かったと語っています。テレビなどで放映されるその投球フォームは、大きくワインドアップをして、スリクォーターから投げ込んできます。おそらくインコースの球は、シュート回転で食い込んできて、打てないようなボールだと思います。高校野球の世界で、投げるボールで、砂塵が舞ったと称されたのは、この尾崎投手と新宮高校の前岡投手の2人だけです。

 

 

 桐蔭高校100周年には、牛島、香川の浪商が、桐蔭に来てくれて、練習試合を行いました。甲子園の決勝戦まで進んだ時のメンバーが、もうすぐ70歳を迎えます。OB会で、「生きているうちに甲子園へ」と言う声も聞こえてきます。暑くなりました。練習も大変です。しかし、あなたちのその一つ一つのプレーに、胸を躍らせて、青春時代をよみがえらせている沢山のOBがいます。今は、野球だけに懸けて、きびきびとした桐蔭らしいプレーを見れることを期待します。

 


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