相手が、「本音」で語っているときには、ついつい耳を傾けたくなるものです。ところが、いくらいいことを言われても、「建前」で語っているときには、まったく聞く耳を持たないと言うか、早く話が終わらないかななどと思ってしまうものです。もともと、「建前」というものは、まわりの人に配慮して、関係のある人に配慮して、当たり障りのない、すごくまっとうなことを言うことなのです。
昨日の、高校野球和歌山大会の開会式を、たまたま昼休みだったので、見ていて、そう思いました。仁坂知事はさすがに、何の原稿も持たずに、目の前にいる野球選手たちに語りかけるように話しておられました。それでこそ、選手たちに心が通じると思うのです。あとの人たちは、原稿を取り出して、一字一句間違いのないようにときどき、下を見ながら一生懸命に、「読んで」います。あらかじめ用意された原稿には、関係のある方々に対する配慮は万全です。しかし、県会議長が出席しているとか、副議長も来ているとか、そんなことは全くどうでもいいことなんですよね。球児に対して、あなたが自分の言葉で語りかけてやること、それが一番大切なのですが・・・。炎天下で、延々と「建前」を聞かされれば、野球選手ですから、ちゃんと人の話は聞きますが、早く終われよなというのが、本音ではないでしょうか。
選手宣誓の言葉、かっこよかったですね。ただ、いつからなのでしょうか?選手先生が、「NHKの青年の主張」のように長くなってしまったのは。そこには必ず、「感謝」という言葉が入っています。僕はあまのじゃくなのかもしれませんが、あまりみんなが感謝、感謝と安っぽく使うことには少しだけ抵抗があります。今までの高校生活を振り返って、これから戦いに臨素直な気持ちを表せればそれでいいと思います。