Quantcast
Channel: KGセミナー塾長の日記
Viewing all articles
Browse latest Browse all 498

日常を生きる

$
0
0

 「ビクトリア朝時代に郵便切手のおかげで、植民地に赴いていった息子と、イングランドの実家の連絡が取れるようになり、息子は、しばしば、ポケットにお金と、平等と自助という新大陸の土産話を携えて帰って来た。」

 

 という英文解釈を昨日、予備校部の授業でやりました。郵便切手の影響力を考えさせられます。今は、いろんな情報通信のツールが、末端の個人にまで浸透しています。そして、何を迫ってくるのかというと、一言でいえば、「日常の破壊」だと思うんです。結局、「もっと楽しいことがあるよ。そんなことをやっているのは、古臭いよ。こうすればもっと楽しくなるよ。」という言葉に促されて、非日常の世界の拡大を図ってくるのです。非日常を「晴れ」と言います。普段着ない服を着るから、「晴れ着」です。普段の練習している舞台と違うから、「晴れの舞台」です。公立高校にとっては、甲子園は、正に、「晴れ」の舞台です。

 

 非日常の世界は、なるほど刺激があるし、楽しいし、それ自体は、何も否定されるものではありません。だからこそ余計に、性質( たち)が悪いのです。悪い姿を身にまとってやってくる悪は安心できますが、いかにもソフトに迫ってくる悪は、一番、性質が悪いのです。

 

 人間は、進化する動物ですから、昨日までの刺激では、もう満足しきれなくなります。そうすると益々、負のスパイラルに突入するのです。これを止めるには、ただ1つ。日常を大切にすること。これしかないのです。日常を、「褻」と言います。

 

 昔は、1年に364日、せっせと働いて、1日だけお祭りの日がありました。だからこそ、その日は、羽目をはずして、日頃のことを忘れて騒ぐのです。祭りが終われば、また日常です。日常生活。朝決められた時間にちゃんと起きて、いつものように学校に行って、仕事に行って、クタクタになるまで頑張って、一日を終える。その日常生活と、非日常との差が、だんだんとなくなりつつあるのが、今のような気がします。

 

 毎日頑張ったものだけに、楽しいことがことがやってくる。それを信じて頑張る。それでいいのだと思います。シンプルなこと。それがすごく大切なのです。


Viewing all articles
Browse latest Browse all 498

Trending Articles