昨日の和歌山大会決勝戦は、素晴らしい試合でした。智辯に先制されても2度も追いついた市立和歌山の粘りは、立派でした。何より、内外野の守備が堅かったです。ピンチを併殺打で切り抜けるのは、当たり前のプレーのようですが、緊迫した試合ではなかなかできません。それと両チームとも、送りバントを確実に決めていました。レベルの高い決勝戦でした。
何よりも、市立和歌山が、「智辯」のユニフォームを必要以上に怖がらなかったのがよかったと思います。初戦の桐蔭戦を除いては、大差で圧勝してきた智辯の打線に対して、インコースの球を有効に使っていました。どうしても、怖がって外ばかりの配球になると、狙い撃ちされてしまいます。
1対1で迎えた、9回の裏の市立和歌山の攻撃。1死満塁のピンチになりましたが、智辯のエース、すぐに打者を追い込み、2者連続の三振で切り抜けました。さすがです。智辯の意地を見た気がしました。11回に2死から,智弁が2塁打で1点勝ち越しました。智辯和歌山は、和歌山大会の決勝に進むこと20回。一度も敗れていません。今年もその不敗神話の記録は続くのかと思いました。
しかし、市立和歌山は、驚異の粘りを発揮します。2死から、エースでキャプテンに代打を送って勝負に出ました。その選手が、見事にセンター前ヒットを打って同点のランナーを迎え入れました。智辯のセンターが、一瞬、飛び込もうかと迷ったように見えました。しかし、1塁にもランナーがいたので、もしも打球をはじいたら、サヨナラのランナーを生還させることになるので、賢明な判断だったと思います。市立和歌山は、今まで、何度も智辯和歌山に跳ね返されてきました。ただ、若い監督さんに代わって2年目。確かに、流れが変わったような気がします。
11回の表、バッテリーが交代した市立和歌山。特に投手は、今大会あまり投げていない2年生です。ここで智辯としてはもう少し、じっくり攻めたかったと思います。意外にあっさりと表も攻撃が終わったことが、裏のサヨナラに通じたのだと思います。
最後のサヨナラの場面を見て、おかしいなと感じたことが3つあります。まず1つは、サヨナラの打球が、外野を抜けていった時に、外野手が、ボールを追いかけなかったことです。2つ目は、投手が、悔しさのあまり、グラブをマウンドにたたきつけたことです。プロ野球の世界なら、サヨナラの打球が抜けていけば、追いかけません。また、ベンチにグラブを投げつける投手の姿も、テレビで映し出されることもあります。ただ、プロの選手は、独立自営業者。すべての責任を自分で背負います。学生野球では、やはり、自分の体の分身であるグラブを投げつけるのは、いけません。また、最後までボールを追いかけて、整列した時に審判の所に持っていかねばなりません。それで、試合が終わるのです。最後まできちんとした、負けても潔しという態度を取ること、それもとても大切なことなのです。
高校野球の審判は、全くのボランティアです。プロ野球では、それでお金をもらっているプロの審判です。ですから、高校野球では、審判に対する抗議も基本的に認められていませんし、最大の敬意を表するのが当たり前です。
甲子園の試合でも、サヨナラ負けをしたチームの選手は、そのボールを、整列した時に、たとえ泣きながらでも、審判に手渡すのです。ところが昨日は、最後に列についた選手が、ウイニングボールを審判に転がしました。そんなことは絶対にあり得ないことなのです。転がったボールを拾い上げた球審は、そっとそのボールを市立和歌山の主将に手渡しました。これが3つ目です。
こういうことは、選手個人の問題ではなくて、指導者が何を大切だと考えて、日頃から生徒たちに指導しているかということです。そういうことを、教えられることなく、卒業していく生徒達が、可哀そうでなりません。昨年は、3回戦で負け。今年は、智辯和歌山が絶対的な本命だと言われていましたが、まさかの決勝戦で敗れました。決勝で、智辯和歌山を破らない限り、和歌山の高校野球は変わらないと言われ続けていたことが、起こったのです。来年の夏、野球の技術だけでなく、そのマナーも、さすがだなと称賛されるチームになって、紀三井寺に智辯和歌山が戻ってくるのを、楽しみにしています。
優勝した市立和歌山。監督の胴上げが始まりました。そのあと、次に胴上げされたのが、ベンチに、記録員として入っていたマネージャーの3年生です。彼は、選手の道をあきらめて、選手を支える方に回った生徒です。ベンチに入れなかったすべての部員を代表しての胴上げでもあったのでしょう。そんな生徒が、2番目に胴上げされる。いいチームです。このチームが、和歌山の高校野球の歴史を変えてくれました。甲子園での思い切ったプレーを楽しみにしています。