教え子の結婚式に出席させていただいて、私の隣に座っておられたのが、教え子の監督をやっている高校の、元監督でした。私が野球をやっていた頃も、その監督でした。
「2年生の夏に、対戦したんです。Yさんという素晴らしい左腕がいて、なかなかヒットを打てませんでした。延長で負けました。」
と伝えると、ものすごくなつかしそうに、「Yは、いい投手だったんよ。ただ四球が多くてね。あの試合、どうしても桐蔭に勝ちたかった。延長になってね、先に桐蔭に1点取られてその裏に2点取ったんよ。よく覚えている。」と。
ライトを守っていた私は、3塁にランナーがいて、センター前ヒットを打たれたのをよくおぼえています。センターの3年生だったOさんが、間に合うはずもないのに、ホームにノーバウンドで大きな声を出しながら、返球したのを覚えています。
その大会で、ベスト4まで勝ち進んだK高校。「あの夏が、僕の出発点だったなあ。あのチームは、中学校のころにレギュラーだった選手が3人しかいなかったんよ。練習で鍛えて鍛えて・・・」
その2年後の春、選抜に選ばれました。それから、当時全盛期だった箕島に勝つための戦いが始まります。当時は、監督同士が話をしたりすることは一切なかったそうです。話をすれば、考え方がわかってしまうと言っておられました。お互いに監督を辞めてからは、よく交流があったそうですが、とにかく現役のころは、全く話をしないそうです。尾藤監督が、解説をしている試合を、カセットテープにとって、何度も何度も聞いたそうです。どういう考え方をしているのかを知るために。
夏の公式戦では、箕島に勝利したのは2回だったそうです。箕島が甲子園に出て、吉田高校と対戦した時に、前の打席で本塁打を打っている選手に、スクイズのサインを出したそうです。その作戦を見て、尾藤監督は、まだまだ自分より上だと感じたとそうです。
とにかく、監督をしていた方は、その試合、試合の記憶が、まるで映像を見ているかのようによみがえってくるようです。尾藤監督に勝つために人生をささげた監督さんのいいお話をうかがえました。ありがとうございました。