予備校部を卒業したOB達が、テストを終えて、塾に顔を出してくれます。みんな少し見ないうちに、すっかり大学生になっていますね。OBが塾にやって来てくれる、これほど塾をやっていて嬉しいなあと思えることもありません。
昨日の夕方、授業の準備をしていると、一人の男性が入ってきてくれました。なつかしかった。僕がKGセミナーという名前で、1992年に塾を独立させた、その最初の生徒でした。8年間、別の塾で予備校部をやっていたものの、立ち上げたばかりの何の実績もない所にやってきてくれた生徒でした。向陽の野球部出身で、父の母校の同志社に行って野球をやりたい!と言ってやってきてくれました。1992年は、18歳人口が、一番多かった時代です。町に浪人生が溢れかえっていたころでした。日本にある大学だけでは、学生を収容できなくって、「日本にあるアメリカの大学」が、各地にできてきたころでした。関関同立も今よりもはるかに合格しにくかった時代です。
一生懸命に頑張った彼は、念願の同志社の合格。努力で2塁手のレギュラーポジションをつかみ取りました。下級生のころは、大変つらかったと思います。それを乗り越えてのレギュラーでした。卒業後、大手企業に進んで、その後独立して、今は東京で、貿易会社を経営しているそうです。
僅か30分ほどでしたが、昔のことが蘇って、楽しい時間を過ごせました。ちゃんと覚えてくれていたんや。ありがとうございます。最近のことはすぐに忘れてしまいますが、昔のことは何でも覚えているような年齢になってきました。