金沢大学大学院出身の女子が、競輪選手のテストに、2回目の挑戦で合格したとインターネットの記事にありました。また、この前は、日比谷高校出身の東京大学野球部の投手が独立リーグに進むという記事もありました。そういえば、地元の紀州レンジャーズには、母校桐蔭出身の広島大学を卒業した選手が、投手として頑張っています。
1988年、慶応大学の左腕、志村投手は、複数球団がドラフト1位を指名するといううわさがあったが、拒否して三井不動産に入社。会社では、息抜きで軟式野球をしているという。三井グループの野球大会で、私の高校時代の野球部の同僚が対戦したことがあると言っていた。その次の年は、立教大学主将の黒須選手も、ヤクルトの指名を拒否して、日本興業銀行に就職をしました。2人とも、桐蔭学園、立教高校と進学校を卒業して大学に進学。当時の慶応、立教は野球だけで進学してくる選手がほとんどいない大学でした。いわゆる文武両道の野球部でした。彼らは、プロを目指すより、社会人として、一流企業への就職を選んだ時代でした。
ちょうどバブルの絶頂期へと加速していく日本でした。しかし、今は、高学歴の人たちが、プロを目指す時代が、確かにやってきました。今、プロ野球から指名されて、拒否をする人は、ほとんどいなくなりました。時代によって、若者たちの未来に対する考え方は大きく変わっていきます。ただ、大切なのは、自分の力がどこまで通用するか試してやろうという気持ち。それが若者なのです。変に物わかりのいい青年になってほしくないなあ。自分の力を信じて戦って、敗北をしても、立ち上がって次にその敗北を生かしてもらいたいのです。